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備忘録 うつ病になりました。

備忘録 うつ病になりました。

 

気がつけば4月

時間が経つのは早いですね。社会人3年目&2021も3分の1を迎えてたわけですから・・・

 

さて、今回の記事は個人的な備忘録です。

うつ病になりました。

何でこうなったかというと・・・まぁ仕事が原因です。

この体験をしっかり文章に残して後の人生の中で迷いがあっても・思い出さなければいけない状態になっても大丈夫なように書き起こしておこうと思います。お付き合いください。

 

原因を遡ると去年の4月までになります。

僕の仕事はかなりの大手に入り製品の設計評価部隊に配属されました。就職活動では賓館や試験関係ができる部署がいいと言って入ったので設計という点をのぞいては希望通りでした。

そして、4月に組織変更によってその部署が縮小されることになり、僕はそのまま設計部隊の方に流れることになりました。ここからが地獄でした。

設計部隊は慢性的な人員不足・時間不足などが問題になっていました。僕が流れ着いた場所は今まさに新製品の開発によって多忙を極めていました。故に新人なんて教育している暇もない。そんなところでした。

僕は設計部隊に配属とはなりましたが、一部部品の設計を持ちながらも開発設計段階の試験を任されることになりました。(正直新人にしては異例・荷が重すぎました)

たかが1年評価部隊にいただけなのでスキル不足もあり到底全てできるものではありませんでした。それを直属の上司に伝えたのですが

「金をもらっているならプロとしてやり遂げてもらわないと困る。」

「任せたからにはやりな」

という感じでした。やり方もわからない・サポートもないため、前の部署の方にサポートをいただきながら何とか進めていきました。感謝しかないです。

 

設計ではあまり教えていただけない中で図面を描き、怒られ修正を何度もしながらもギリギリでやっていきました。ただ、その中でも教えて欲しい・情報を欲しいと言っても無視されたりなどありました。

評価はなんとか色んな人からツギハギに教えてもらった方法で100台以上の試験・200回以上の試験を派遣さんと分担しながら行いました。

毎日11時に帰宅し、寮食は時間外なのでカップラーメンをすすって速攻で寝る。そんな生活です。

それが大体4〜8月くらいのことです。ここから寝れなかったり憂鬱な時間が増え、心と体が壊れ始めました。

 

設計の仮説を立証するための評価をマネージメントするという立ち位置に必然的になっていたのですが、これは試験規格に乗っ取って評価を行う人と設計者との中間の立ち位置でした。

当然、両方から色々言われます。

評価者からはココがだめになった。設計へ取次を・・・ この試験を行うためにこの情報を他部署から引き出してきて欲しい。これを予算で購入して欲しい・・・

設計者からは何故ダメになったんだ。試験に問題があるのではないか?そもそも規格としてこれは直さなくても大丈夫なのではないか(いいものを作るために、些細な情報も設計者に伝えていました。これは設計の中でこの問題は知らなかったなどの行き違いをなくすためもあります。)なぜ直さなくていい発想になるのか・・・

まさに板挟みでした。そして当然ながらその製品の有様から上司からの圧力も強くなり・評価試験も段階をふむごとに遅延していきました。

その度に「遅れているのをどうにかしろ」「この評価試験を全てに差し置いて先に行ってほしい」などと限界で回している中で注文が入ってきます。

また、各部品設計者たちもうまくいかない・遅延などに腹が立ったりとギスギスしていました。

僕は昔から話しやすい人間と言われることが多いのですが、色んな設計者・評価者から愚痴やストレスを語られるのです。最初は何とも思わなかったのですが、だんだん過激になる人もいて、僕のやり方はなっていない。手際が悪い。お前のせいでまともに日程がこなせなかったらどう責任をとるんだ。などと1時間ほど残業中の部屋の壁に追いやられて説教を受けたりしました。

9〜12月の間に一気に環境がさらに悪化していきました。

その間も残業・休日出勤・カップ麺生活をしており、心は「いつこの場から逃げ出せるのか?」「死にたい」と考える時間が増えました。

体も重く、何となく力が入らない時間も増え・体重も6kgほどおちました。

 

2021年に入ってからです。

電車で会社が近づくたびに吐き気がするんです。

頭が痛かったり・すーーーーっとお腹が痛かったりするんです。

体にブツが増えたり、呼吸をすると胸が痛いんです。

病院に行っても原因は不明でした。

そして寝てもすぐ目が覚める。1時間ごとに時計を確認して仕事へ行く時間までのカウントダウンをしてしまう。

心の方も。もう趣味のことなんか考えれない。ゴミをゴミ箱に捨てる。こんな当たり前のことですら何となくやる元気がないんです。物を元に戻すことすら億劫で、また「死にたい」と考える時間の方が増えました。実際に首を閉めようともしました。死ぬ勇気なんてなかったので閉めてもすぐ緩めちゃいましたが。

仕事も失敗が増え、さらに無理難題も降りかかり、きつい言葉をかけられることも増えました。

 

2月の半ばです。

朝目が覚めて亡霊のように出社しようとしたのですが完全に体が動かなくなりました。

年休を取得し、丸一日ベットの上から動く元気がありませんでした。

本当に、糸が一本プツンと切れたような、それまで何とか繋がってたものが壊れたようになりました。

その週は在宅などを利用して働いている程で心を落ち着かせ翌週出社しましたがもう体が限界と拒否反応を示しているのは明白でした。

 

その日の仕事はふらふらと、辛さが滲み出ていたのか、元配属先の係長とすれ違った際に係長から「大丈夫?辛かったら一旦向こうの誰もいないところで話しをきこうか?」といってくれました。

 

元上司の係長には泣きながら今まで辛かったこと・体調的に限界を迎えたこと、全て話しました。係長も側から見ていてそれを感じていたらしく、他部署の人間ながら僕が一旦休業できるように動いていただけました。

また、会社もそうなると動かざるをえず、産業医の立ち会い・病院などの紹介をし結果として重度に近いが、今後を考えて抗うつ状態ということで診断書をいただきました。

 

救いの1枚でした。

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その紙一枚で僕は即休業となり、地元香川で療養となりました。

 

療養期間中、色んな友人恩師からご心配の声をかけていただき、感謝の限りです。

 

正直、鬱は治りきりませんでしたが、4月1日からの復帰が望ましいとして、診断書をいただき現在は復職しております。

ただ、向精神薬は飲み続けないといけないようです。あくまで今復帰しマトモに見えている僕は薬のおかげで成り立っているのです。

職場はその助けていただいた係長のもとで働くことになりました。

 

ただ、復帰の際の面談で課長の話を聞いた感じでは、また一定期間経てば元の地獄へ戻されそうな雰囲気です。会社とはなんて怖いところなんでしょう。

 

 

これからどうしようか、悩んでいます。

仕事は人生のための道具として考えたい。仕事に殺されかけるのはもう嫌です。

新しい環境を目指して動くべきだとは思っています。自分の幸せは仕事なんかに邪魔されない、そんな生活が憧れです。それを追い求めてもいいのでしょうか?

また、進捗があればココに記載しようとおもいます。

 

 

今苦しんでいる人に言えるのは、、、苦しかったら助けてくれそうな人が近くにいるなら是非助けてと言ってください。仕事で死んじゃダメです。僕はその係長に声をかけていただけなかったら、本当に自ら命を立っていたと思います。

今本当に苦しんでいる人がもしこの記事を読んでいたら、手遅れになる前に、是非解決に導いてくれる人に助けを求めて欲しいです。

 

以上備忘録でした。

また色々思うことがあれば追記するかもしれません。その時はよろしく。